プレイバック八代将軍吉宗・(27)中間管理職
さればでござる。
徳川ご本家のお血筋が絶え、初めて御三家から本丸入りなされた8代将軍吉宗公は、瞬く間に間部詮房どのを左遷、新井白石どのの解任と、先代の寵臣をご処分。諸制度を5代将軍綱吉公の御代にお戻しあそばした。また吉宗公は、紀州藩よりお供のご家来衆になるべく身分の低い者をお選びになられた。これはご老中のお顔を立て、幕府の役人を安堵させるための深謀遠慮でござる。
また一方、吉宗公はご就任間もない享保元(1716)年8月、注目すべき新政策を打ち出され申した。一つは鷹狩りの復活。もう一つはお庭番の設置でござる。近松の見るところ、鷹狩りの復活は弱体化した軍事力の強化訓練であり、お庭番の設置はスパイ活動による諸国大名への締め付けでござる──。
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