カテゴリー「NHK大河1995・八代将軍吉宗」の49件の記事

2025年12月12日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(48)祭ばやし [終]

花咲き花散り、月昇り月沈む。将軍家にまつわる話もいよいよ千秋楽と相成り申した。されば近松門左衛門、テレビ桟敷の皆々さまにお目にかかるも今宵限り。寂寥(せきりょう)の感うたたせつなく、胸に染み入るなごり雪、この世の者ではござらねど、語り続けて長丁場、勢い余って失言暴言、ご不興の段は平にご容赦を。……笑止千万! は! は! は! は! は!

さればでござる。吉宗公は9代将軍の座を家重公にお譲りあそばし、嫡孫家治ぎみをそのお世継ぎとなされ申した。さらに田安宗武どの、一橋宗尹どのに、家治ぎみの御弟万次郎ぎみを加えて、後の「御三卿」を創設なされたのでござる。この御三卿のご身分は、神君家康公お定めの御三家を凌ぎ、15代にわたる将軍の座は、前半が家康公のお血筋、後半は吉宗公のお血筋と大きく分かれ申した。これすなわち、吉宗公が“小家康”と呼ばれる所以でござる──。

続きを読む "プレイバック八代将軍吉宗・(48)祭ばやし [終]"

| | コメント (0)

2025年12月 5日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(47)大御所

目安箱へのご投書まことにかたじけない。今宵もまたこの近松が、謹んでご返答申す。

えーではさっそく。『吉宗公の羽織の紐の位置が高すぎてみっともない』 お答えいたす。時代考証によれば、武士は“乳(ち)下がり”と申して、この高さが正しゅうござる。おかしく見ゆるのは、体形のせいもございますかな。もっともご無礼を。それではお聞き申す。『大岡越前守が手にしていた“いろは四十七組の纏(まとい)”(→第30回「いろは四十七組」)は、もっと後の世のものである』 いやさすがはご達見。当時は“幟纏(のぼりまとい)”と申して、そっちが正しゅうござる。失礼仕った。あー、『吉宗公が鋳掛屋(いかけや)の夫婦に“役不足”と言うた(→第11回「赤穂浪士」)が、あれは“器量不足”というべきである』 これまた仰せの通り。すべて脚本家の不勉強。日本語は難しゅうございますな。

えー、まだまだこのようにたくさんいただいておりますが、今宵はこれにて打ち止め。えーなになに? 『近松の部屋にいた小女は何者か?』 はー、あれは実はお梶と申しまして、それがしの娘でござる。今は大坂の絹問屋に嫁いで幸せに暮らしており申す。お梶──。

続きを読む "プレイバック八代将軍吉宗・(47)大御所"

| | コメント (0)

2025年11月28日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(46)決断

これはこれは毎度ご贔屓かたじけのうござりまする。
さてお客様の中には江戸城の場面をいったいどこで撮影しているのかと、ご不審の向きもござりまするが、そろそろここら辺りで種明かしをいたしとう存じまする。さて深夜午前1時24分、ここはNHK106スタジオ。ご覧あれ、大勢のスタッフがジャズ音楽を聴きながら徹夜でセットを建てておりまする。ついで松花木が運ばれ、プラスチック製の庭石が持ち込まれまする。更には小道具類も。

さてこちらはメイクアップルーム。還暦をお迎えの吉宗公がせっせと老け顔を作っておりまする。「(西田)うーん、だいぶ老けたねえ」この若返るよりは楽そうです……な。こちらは衣装部屋。時代劇では衣装選びがこれまた大変、季節に合わせ背景に合わせ、体格要望も考慮に入れて、馬子にも衣裳なんてことは誰も言っておりませぬよ?

カメラ、照明、そして音声の準備もよろしいようで、お待たせいたし申した。まずはカメラリハーサル。セリフは覚えていますでしょうかね。では! 用意……スタート!

続きを読む "プレイバック八代将軍吉宗・(46)決断"

| | コメント (0)

2025年11月21日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(45)みかんの木

近松門左衛門でござる。
正月11日は恒例の年賀行事として、連歌興行が執り行われ申した。まず格式高いこの世襲の連歌師が五七五を発句し、将軍が七七と受け申す。当然ながら幕府の高官は歌が詠めなくてはなりませんな。ましてや将軍が二の句を継げなければ連歌興行は頓挫いたし申す。将軍在職29年間、さぞかし吉宗公はご苦労なされたことと拝察仕る。

さればでござる。吉宗公苦心の二の句を一部抜粋してお目にかけなん。
鳥を楽しむ 御園生の春 (享保4)
つきせぬ種を 植えし桃園 (享保7)
幸多かれや 春の海山 (享保8)
春ごとに巣を たてる雛鶴 (享保13)
雪おのずから 溶ける四方山 (享保15)
ご覧の通り三十代、四十代のお歌はすべてアウトドアの風景で、すこぶるお元気がよろしゅうござる。

おや? と思うのは御年50歳を過ぎてから。お世継ぎ問題を含め、悩み多き将軍のお心を反映してか、作風に陰影が出て味わい深くなっており申す。
うつる岩井の 陰も若水 (元文2)
竹はのどけき 代々のこの友 (元文3)
春を常にと しめん仙人 (元文4)
来る年の賀は あかぬ君臣 (元文6)
初花見鳥 うつる高殿 (寛保2)
特に元文2(1737)年のは秀逸。寛保2(1742)年のは“花見鳥”と“緑”が掛詞になっておりますな。ま、苦手の詠いも毎年やっていれば、いくらか進歩いたしますな──。

続きを読む "プレイバック八代将軍吉宗・(45)みかんの木"

| | コメント (0)

2025年11月14日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(44)三兄弟

享保の改革は一にも二にも「倹約」が根本でござった。吉宗公は単にケチケチしたわけではござらぬ。ぎりぎりに経費を切り詰めて、浮いた予算をつぎ込んだのが米の増産、新田の開発。当時関東流の新田開発は行き詰っており申したが、そこへ和歌山から紀州流を引っ提げて颯爽と登場したのが、治水の天才・井沢彌惣兵衛(やそべえ)為永。

吉宗公の抜擢に応え東奔西走をして手掛けた灌漑(かんがい)工事は、鬼怒川・多摩川・酒匂(さかわ)川・大井川・木曽川・印旛沼・飯沼に及び申した。中でも享保16(1731)年に作られた見沼通船堀は、3メートルの水位差を調節するために、パナマ運河顔負けの堰を設けて船を通すという大工事。かくして井沢為永は82ヶ所にも及ぶ新田開発に成功し、幕府に数十万石の増収をもたらしたのでござる──。

続きを読む "プレイバック八代将軍吉宗・(44)三兄弟"

| | コメント (0)

2025年11月 7日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(43)君主の条件

さればでござる。今宵の目安箱には視聴者の方々のご意見・ご質問の投書もたくさんいただいており申す。されば将軍になり代わって、この近松がお答え申し上げる。

えー、紀州藩主光貞公が貝原益軒の『養生訓』について語りしは、時代考証の不備なり。『養生訓』の完成は光貞公の死後、正徳3(1713)年にあらずや。ご助言かたじけのうござる。いかにも仰せの通りなれど、『養生訓』は全8巻の大作でござる。完成前にちょくちょく発表されたものを、光貞公が偶然お読みになったと、こういうことではいけませんかな?

ははー。赤穂浪士討ち入りの場面に大石内蔵助の出演なかりしは、甚だしく興を削ぎたるなり。大石抜きの討ち入りとは前代未聞、そはいかなる所以にござ候や。あっはっは。実は当番組とは質素倹約のため、討ち入りの場面は過去の大河ドラマ『元禄太平記』より拝借つかまつった。その時の大石役は何を隠そう、それがしでござった。何ぼ何でも近松が大石と同一人物では、話がむちゃくちゃになり申す。従って大石の顔はカットされたのでござる。謹んでお詫び申し上げる──。

続きを読む "プレイバック八代将軍吉宗・(43)君主の条件"

| | コメント (0)

2025年10月31日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(42)後継者

物語進んで享保20年、すなわち吉宗公が8代将軍にご就任なされて20年の歳月が過ぎ申した。さればでござる。享保の改革とはそも何ぞや!

質素倹約令・お庭番設置・刑罰緩和・相対(あいたい)済まし令・洋書解禁・貿易政策・過料刑(かりょうけい)発令・風俗取締り令・言論統制令・目安箱設置・小石川養成所・質地制限令・相対死禁止令・上米制度・年貢定免制・足高の制・商人組合結成令・町火消四十七組・農政(新田開発)・米相場対策
ここにご披露いたすは吉宗公が矢継ぎ早に繰り出された政策のうち、主だったもの20件。さればでござる。これらの政策が成功したのか失敗したのか、時代考証の先生方に点数をつけていただき申した。

鎖国の中で外国文化を積極的に輸入したのは画期的。しかし言論出版の自由を奪うとはけしからぬ。国民の声を直接聞いてできたのが、日本最初の総合病院小石川養生所。有能な人材の登用や都市防災のシステム作りは評価の一致するところ。全国的な人口と耕地面積の調査に基づく農政は、さすが実証主義者吉宗どの。結果はご覧の通りでござる。あえて近松の感想を申せば、享保の改革は60点にござりますかな。おっほっほ──。

続きを読む "プレイバック八代将軍吉宗・(42)後継者"

| | コメント (0)

2025年10月24日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(41)八木将軍

近松門左衛門でござる。不躾ながら歴代将軍にはそれぞれあだ名がござった。

例えば4代将軍家綱公は、もう何でもご老中任せで「そうせい、そうせい」と仰せられ申した。これを人呼んでソーセージしょ……あ、いやいや、『そうせい将軍』。生類憐れみの令を出された5代将軍綱吉公は、どなたもご存じ『犬公方』。続いて6代将軍家宣公は、ことのほか学問好きでござった。さればこの方は文句なしに『学者将軍』。あわれ8歳にてお亡くなりあそばしたのは7代将軍家継公。幼かりしゆえにその名も『幼将軍』。

さればでござる。おなじみの8代将軍吉宗公は、巷で何とあだ名され申したか。エイヤーッと! これでござる。もし? 八木(やぎ)将軍ではござらぬ。無論、八代将軍のミスプリントでもござらぬ。これは『八木(はちぼく)将軍』と読み申す。さて、いったい八木将軍とは何ぞや。お分かりにはなりますまいの。

江戸時代の人々は“米”という文字を上下に切り離して、遠回しに八木と申したのでござる。豊作でも米の値が一向に下がらないと、吉宗はお久免に愚痴をこぼします。さようさよう。米の相場と悪戦苦闘なされた吉宗公を『米将軍』すなわち『八木将軍』と、洒落止めしたのでござる──。

続きを読む "プレイバック八代将軍吉宗・(41)八木将軍"

| | コメント (0)

2025年10月17日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(40)都鳥あわれ

罷り出でましたるは近松門左衛門。これより上様のご日常をご案内仕る。

上様は毎朝6時にご起床あそばし、洗面してお着替えの上、大奥のご仏壇にお参りあそばす。それから中奥にてご朝食、結髪、御典医の健康診断をお済ましになり、9時ごろには再び大奥入りしお目見え以上の女中を謁見いたす。そして午前中は学問と武芸の稽古、正午に質素なご昼食を召し上がって、午後は政務をお執りあそばす。

さればでござる。膨大な書類が持ち込まれるのはここ、御座の間。もしくはご休息の間。重大事項は御用取次役が、さほどでもないものは側小姓がそれぞれ読み上げ申す。かいつまんで申せば、ご決済は3通りしかござらぬ。「そうせい」「考え直せ」「もってのほかじゃ」 さすがに分かりやすうございますな。お、そうせい。ん、考え直せ。もってのほかじゃ──!

続きを読む "プレイバック八代将軍吉宗・(40)都鳥あわれ"

| | コメント (0)

2025年10月10日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(39)自由にて候

名古屋にお帰りになった徳川宗春公。連日の物見遊山に明け暮れてござる。いやぁ驚きましたな! あの御方こそ尾張7代藩主徳川宗春公。浮世絵というか……あっはっは。歌舞伎めいたというか、あの思いっきりサイケデリックないで立ちは、まさに大向こうを唸らせる千両役者! がんばれ! 尾張の快男児──!

続きを読む "プレイバック八代将軍吉宗・(39)自由にて候"

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Kassyのオススメ おしごと おともだち ウェブログ・ココログ関連 デジタル ニュース バス・電車 心と体 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 育児 音楽 NHKスペシャル・ハルとナツ NHKスペシャル・坂の上の雲 NHKドラマ人間模様・夢千代日記 NHKドラマ人間模様・花へんろ NHK大河1966・源 義経 NHK大河1970・樅ノ木は残った NHK大河1972・新・平家物語 NHK大河1973・国盗り物語 NHK大河1974・勝 海舟 NHK大河1976・風と雲と虹と NHK大河1977・花神 NHK大河1978・黄金の日日 NHK大河1979・草 燃える NHK大河1980・獅子の時代 NHK大河1981・おんな太閤記 NHK大河1983・徳川家康 NHK大河1984・山河燃ゆ NHK大河1985・春の波涛 NHK大河1986・いのち NHK大河1987・独眼竜政宗 NHK大河1988・武田信玄 NHK大河1989・春日局 NHK大河1990・翔ぶが如く NHK大河1992・信長 NHK大河1993(1)・琉球の風 NHK大河1993(2)・炎 立つ NHK大河1995・八代将軍吉宗 NHK大河1996・秀吉 NHK大河1998・徳川慶喜 NHK大河2000・葵 -徳川三代- NHK大河2001・北条時宗 NHK大河2002・利家とまつ NHK大河2004・新選組! NHK大河2005・義経 NHK大河2006・功名が辻 NHK大河2007・風林火山 NHK大河2008・篤姫 NHK大河2009・天地人 NHK大河2010・龍馬伝 NHK大河2011・江 NHK大河2012・平 清盛 NHK大河2013・八重の桜 NHK大河2014・軍師官兵衛 NHK大河2015・花燃ゆ NHK大河2016・真田丸 NHK大河2017・おんな城主直虎 NHK大河2018・西郷どん NHK大河2019・いだてん NHK大河2020・麒麟がくる NHK大河2021・青天を衝け NHK大河2022・鎌倉殿の13人 NHK大河2023・どうする家康 NHK大河2024・光る君へ NHK大河2025・べらぼう NHK大河2026・豊臣兄弟! NHK大河ドラマ NHK新大型時代劇1985・真田太平記 NHK新大型時代劇1986・武蔵坊弁慶 NHK朝ドラ1983・おしん