カテゴリー「NHK大河1987・独眼竜政宗」の39件の記事

2026年9月14日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(39)五郎八(いろは)、嫁ぐ

【アヴァン・タイトル】

政宗以来、伊達62万石が250年間本拠地とした仙台城。家康に遠慮して天守閣こそ造らなかったが、青葉山は天然の要害であった。東は広瀬川に面する64mの絶壁、南は深さ90mの竜ノ口峡谷、西から北にかけては丘陵地帯が城を取り囲んでいるのである。

この広大な仙台城のうち、政宗が築いたのは本丸の部分である。本丸は、政宗の住まいが連なるプライベートな空間と、政や儀式を行う公の空間とに分けられるが、その中心は大広間である。建坪およそ900m2、上段の間から檜之間まで開け放つと、100畳敷きの広さとなる。入母屋(いりもや)造りのこの大広間は、桃山時代の書院造様式を踏襲した壮麗な建築物であった。

また、政宗は東の崖の上に懸造(かけづく)りと呼ぶ見晴らし台を造った。ここからは太平洋の海原が40km先まで見えたという。仙台城の中で、政宗が育んでいたものは、海外への夢だったのかもしれない──。

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2026年7月29日 (水)

プレイバック独眼竜政宗・(38)仙台築城

【アヴァン・タイトル】

人口71万の仙台市。ここで開催されている『未来の東北博覧会』。数々のパビリオンとイベントに人気が集まり、入場者数は200万人を記録。73日間の会期もあとわずかになった。こちらはおなじみの七夕。杜の都・仙台は、通商交通の要としてますます発展を続けている。

その出発点はやはり伊達政宗にある。政宗はここに巨大な城と城下町を造った。関ケ原の合戦に大勝し、天下を掌握した徳川家康はただちに論功行賞を開始した。家康に従った東軍の諸将がそれぞれ大幅に加増されている中で、政宗はなんと2万石しか加増されていない。これは政宗が南部領の和賀一揆を支援したことへの罰であった。この時の60万石が、400年後、71万人の大都市となったのである──。

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2026年7月20日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(37)幻の百万石

【アヴァン・タイトル】

慶長5(1600)年9月15日、天下分け目の関ケ原の合戦が起こった。太閤秀吉死後、天下の趨勢(すうせい)は徳川家康に傾いていた。そのため豊臣家の将来を憂慮した石田三成が、家康と関ケ原で激突したのである。家康の率いる東軍104,000、三成を中心とする西軍85,000は、関ケ原に布陣した。家康の本陣は桃配山にあり、三成側の主力は笹尾山にあって、満を持した。

午前8時、決戦の火ぶたは切って落とされた。正午までは一進一退の乱戦であったが、かねてから東軍に内応していた小早川秀秋が西軍の側面を攻撃し、形勢はにわかに東軍有利となった。そして午後3時ごろまでに西軍は総崩れとなり、勝負がついた。かくして関ケ原の合戦は東軍の大勝利となり、徳川家康は名実ともにポスト秀吉の座を勝ち得たのである──。

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2026年7月 6日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(36)天下分け目

【アヴァン・タイトル】

若き日の政宗は、対外的には大胆不敵な武人の印象が強かった。しかし文禄の役前後からは、中央の一流文化人と接し、伊達家伝統の教養と相まって、文人としての輝かしい才能を開花させるに至った。政宗は特に「和歌・連歌・狂歌」に非凡な才を発揮し、近衛信尋(のぶひろ)らの歌人の激賞を受けた。政宗は、喜びにつけ悲しみにつけ、舞を舞い、よく太鼓を打った。晩年の政宗が「能」に傾けた費用は年間3万石。現在でいえば、およそ1億5,000万円にも達したという。

政宗は「茶道」も究めていた。千 利休・古田織部・今井宗薫らとの熱烈な交際を、どんなに誇らしく思ったことであろうか。政宗は茶を喫するだけでなく、茶杓なども自らの手で作った。晩年、竹細工に熱中した政宗が、小十郎に竹の材料を送ってほしいと頼んだ手紙も残っている。政宗の居城のあった岩出山では、地元の人たちも趣味として竹細工を習い、政宗以来の伝統が今も引き継がれている──。

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2026年7月 1日 (水)

プレイバック独眼竜政宗・(35)成実失踪(しっそう)

【アヴァン・タイトル】

全国で183銘柄もある“政宗”と名の付く酒は、京・伊達屋敷跡の酒倉がつけたのが始まりという説がある。その真偽は定かでないが、政宗が酒を愛したのは事実で、ここ仙台城の酒倉でさまざまな酒を造らせたという。中でも印籠に粉末にした酒を入れ、携帯用にしたという話は、いかにも進取の気性に富む政宗らしい。この印籠酒、合戦の時の興奮剤として大いに活用されたというが、今はその製法が伝わっていない幻の酒である。

政宗といえども、時には酒を飲みすぎて失敗もした。側近に宛てて酒席での不始末の詫びを綿々とつづっている。晩年には、若き日を懐かしみつつ悠然と酒を楽しむ、こんな詩を残した。

四十年前少壮時
功名聊復自私期
老来不識干戈事
只把春風桃李巵

四十年前の若く血気盛んだった頃は、手柄を立てて名を成すことを自分の中でひそかに期待していたものだ。しかし、年老いた今となっては戦のやり方などすっかり忘れてしまい、今はただ春風に吹かれながら、桃やすももの花の下で酒杯を酌み交わして楽しむばかりである──。

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2026年6月26日 (金)

プレイバック独眼竜政宗・(34)太閤の死

【アヴァン・タイトル】

16世紀の末、日本は秀吉を絶対者とする大名連邦国であった。その秀吉政権を支える各大名の石高ベストテンを紹介しよう。まず10位から4位。第10位小早川秀秋(34万石)、第9位鍋島直茂(36万石)、第7位佐竹義宣(56万石)、同じく第7位島津義弘(56万石)、第6位宇喜多秀家(57万石)、第5位伊達政宗(58万石)、第4位前田利家(81万石)。伊達政宗は58万石で第5位にランクされている。

それではベスト3。第3位、上杉景勝120万石。第2位、1万石の差で毛利輝元121万石。そして石高ベストテン第1位は、断然トップ! 256万石徳川家康。ちなみに秀吉政権の最高機関「五大老」のメンバーは、政宗を除いて石高ベスト6位から選ばれている。政宗は新参のせいかそれとも信用がなかったのか、このメンバーには加えられていなかった──。

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2026年6月22日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(33)濡れ衣(ぎぬ)

【アヴァン・タイトル】

文禄4(1595)年8月2日、秀吉の命令により関白秀次の妻子と側室39人が京都三条河原で処刑された。太閤に謀反を企てたとされる秀次に連座させられたのである。その中には、最上義光(よしあき)の愛娘・駒姫もいた。東国一の美女とうたわれた駒姫は、この時わずか15歳であった。
《辞世の和歌》
罪を斬る
 弥陀の剣に かかる身の
  何か五つの さわりあるべき

駒姫の死を深く悼んだ父義光は、最上山専称寺を天童から山形に移し、菩提寺とした。山形城にあった駒姫の部屋も、後にここへ移された。桃山時代の様式美の中に、薄幸の美女・駒姫の日常がそこはかとなくしのばれる。駒姫が犠牲となったこの秀次事件が、政宗をも危機に陥れた。政宗に謀反加担の嫌疑が掛けられたのである──。

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2026年6月17日 (水)

プレイバック独眼竜政宗・(32)秀次失脚

【アヴァン・タイトル】

宮城県津山町、横山公民館のほったはるこさんは、地元の子どもたちに、政宗の弟・小次郎の悲劇を語り継いでいる。「(女子) 伊達小次郎がかわいそうだった」「(男子) 逃げたらよかったと思います」「(女子) かっこいいと思いました」

文禄元(1592)年、小次郎の遺骸を背負い、小原縫殿助(ぬいのすけ)がたどりついた津山町は、仙台市の北東80kmにある。政宗が命じた“七代の勘当”が解け、初めて公に小次郎の供養が行われたのは、この地、右念山山頂に埋葬されておよそ200年後、寛政5(1793)年のことであった。傅役(もりやく)小原縫殿助の墓は、その遺言により小次郎の墓から50間、約90m下がったところにある。右念山山頂に、小次郎は今も静かに眠っている──。

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2026年6月 8日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(31)子宝(こだから)

【アヴァン・タイトル】

天下統一を終えた秀吉の次の目標はアジアであった。中国・インド・フィリピンを征服し、都を北京に遷(うつ)して天皇を迎える。この途方もない計画の第一歩が、朝鮮出兵であった。日本軍は最大16万の兵力をもって、7年もの間 朝鮮の国土を蹂躙(じゅうりん)した。これは我々の認識をはるかに超える大戦争であり、朝鮮半島の人々の胸には今もなお、生々しい悲劇として記憶されている。

文禄元(1592)年4月、全国から30万の軍勢が肥前名護屋に結集。西国勢を中心とする第1陣が海を渡った。日本軍は漢陽すなわち今のソウルと平壌を落とし、8月には朝鮮半島の大半を支配したかに見えた。しかし12月末、明の援軍10万が駆けつけると形勢は逆転。日本軍は漢陽に退却して防戦一方となった。さらに朝鮮の水軍は半島南岸の制海権を奪い、名護屋~釜山間の補給路を脅かした。

第2陣の出発命令が下るのはいつか? 政宗は歴史の巨大な渦に巻き込まれて、ただ待つしかなかった──。

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2026年6月 3日 (水)

プレイバック独眼竜政宗・(30)伊達者

【アヴァン・タイトル】

政宗が居を構えた岩出山。その城跡は白いセメントの政宗像が静かに町並みを見守っている。だが、この政宗像、激動の昭和史をもまた見つめてきたのである。昭和10(1935)年、一体の政宗騎馬像が死後300年を記念して、仙台城天守台に据えられた。だが昭和19(1944)年、この騎馬像に一枚の召集令状が届く。軍事用の金属回収である。仙台城には主のいない台座だけが残った。

台座の上に政宗が帰ったのは、昭和28(1953)年。しかし物資窮乏の折から、復員したのは白いセメントの政宗像であった。昭和39(1964)年、ようやく現在の政宗騎馬像が復元される。白いセメント像のほうは仙台から岩出山へと移り、人々の熱い歓迎を受けた。折しも翌日は東京オリンピック開幕。政宗死後、330年が経とうとしていた──。

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