カテゴリー「NHK大河1987・独眼竜政宗」の30件の記事

2026年6月 3日 (水)

プレイバック独眼竜政宗・(30)伊達者

【アヴァン・タイトル】

政宗が居を構えた岩出山。その城跡は白いセメントの政宗像が静かに町並みを見守っている。だが、この政宗像、激動の昭和史をもまた見つめてきたのである。昭和10(1935)年、一体の政宗騎馬像が死後300年を記念して、仙台城天守台に据えられた。だが昭和19(1944)年、この騎馬像に一枚の召集令状が届く。軍事用の金属回収である。仙台城には主のいない台座だけが残った。

台座の上に政宗が帰ったのは、昭和28(1953)年。しかし物資窮乏の折から、復員したのは白いセメントの政宗像であった。昭和39(1964)年、ようやく現在の政宗騎馬像が復元される。白いセメント像のほうは仙台から岩出山へと移り、人々の熱い歓迎を受けた。折しも翌日は東京オリンピック開幕。政宗死後、330年が経とうとしていた──。

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2026年5月25日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(29)左遷

【アヴァン・タイトル】

山形県米沢市で、毎年5月に繰り広げられる「米沢上杉まつり」。今年は『独眼竜政宗』にちなんで、伊達政宗役の渡辺 謙さんも参加した。

政宗が生まれ育った米沢城は今も深い緑に包まれ、公園として市民の憩いの場となっている。敷地内には政宗時代から人々を見守ってきた樹齢500年の樅の木があり、梢を風にそよがせている。政宗が勉学に通った資福寺は仙台に移され、今はない。杉木立の中に、父輝宗の墓が残っているだけである。政宗が骨折の傷を癒した小野川温泉。小野小町が開いたと伝えられるこの湯は、今も共同浴場として人々に愛用されている。

伊達家を200年余りの間にわたって育んだ米沢。政宗はこのふるさと米沢の風土と人々を、こよなく愛していたに違いない──。

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2026年5月20日 (水)

プレイバック独眼竜政宗・(28)知恵くらべ

【アヴァン・タイトル】

伊達、伊達者。政宗の意表を突く服装や行動が、この言葉の由来となったとする説があるが、本当だろうか。この言葉のルーツを探ってみると、いくつかの語源に突き当たる。一つは「立てる(大げさにやる)」から伊達になったとする説。また「派手(はなやかな)」が転じて伊達になったという説。そして(華麗な服装から)政宗こそ伊達のルーツだとする説。いろいろな説がある中で、伊達という言葉が政宗より前の時代から使われていたというのは、事実のようである。

だが今では、伊達といえば政宗こそが代名詞。黒一色の鎧、死に装束、金箔の磔柱(はりつけばしら)など、政宗の遺したエピソードの数々が、伊達者のイメージを現代へと伝えているのである──。

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2026年5月15日 (金)

プレイバック独眼竜政宗・(27)黄金の十字架

【アヴァン・タイトル】

現在でも、閣議書類のサインに大臣が花押を書く慣習が残っている。花押とは、自分の出した文書であることを証明する符号のようなものである。武将たちの表立った文書にも、花押を記すならいがあった。政宗の花押は、その当時の武将にしてみればとりわけ数が多い。年代順にごく一部を紹介しよう。

青年期の花押は、筆の勢いが豊かではつらつとした若武者ぶりを表している。これが世に知られる「鶺鴒(せきれい)型」の花押で、晩年まで使用された。ただこの花押は、年を経るに従い小型化し、丸みを帯びてくる。近世大名に脱皮した政宗の、花鳥を友とする老境への移ろいを物語っている。花押を鶺鴒の形に似せたのは、鶺鴒の俊敏さを政宗が愛でたためかもしれない。

この鶺鴒の花押が入った政宗の密書が、再び政宗を危機に陥れたのである──。

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2026年5月11日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(26)絶体絶命

【アヴァン・タイトル】

今年は、売上税をはじめとした税制改革が議論を呼んでいるが、今から400年前にも、大規模な税制改革が行われている。豊臣秀吉による太閤検地である。秀吉は、新しい領土を手に入れるたびに農地をくまなく調べ上げ、土地台帳に記入した。これにより各地の土豪や有力な農民たちが隠し持っていた田畑が公にされ、彼らの脱税が大量に摘発されることとなった。また、土地を数える単位も改め、これまで1反360歩であったものを、1反300歩に縮小した。これにより、農民の年貢も重くなった。

東北地方の豪族や農民たちはこうした制度に不満を持ち、新しい領主への反発もあって各地で次々と反乱を起こした。ライバル同士の伊達政宗と蒲生氏郷は、秀吉の命令で現地に向かい、一揆の鎮圧にあたった。圧政に苦しむ人々の姿を知る政宗にとっては、忸怩たる思いを抱いての出兵であった──。

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2026年5月 1日 (金)

プレイバック独眼竜政宗・(25)人質、めご

【アヴァン・タイトル】

「(嶋) 嶋 英二です。聚楽第(じゅらくだい)を探しに京都にやって来ました。聚楽第ってどこにあったか知ってますか?」 秀吉が京に建てた城・聚楽第。文字どおり快楽のすべてを集めた華麗な館だったという。しかしその後、秀吉自らこれを破壊。聚楽第は京の町から完全に姿を消した。


「(嶋) じゃーん! 聚楽第の地図を見つけました!」 地図は京都の一等地を示していた。御所の西、二条城の北、ここに幻の城・聚楽第はあった。面積は二条城の2倍、大名の居住区域を含めると、京都御所をしのぐ広大な空間になる。

「(嶋) (ここは下立売 新智恵光院)ここが聚楽第の南側の門があったところです。今から一周してきます! (聚楽第の井戸と伝えられる 梅雨の井)ここが豊臣秀吉の使った井戸です。水は……出ません。(中立売通り)こっちが秀吉のお母さんの館のあったところです。こっちが淀君の館の跡です。(土屋町通り)そこの低くなっているところが、お堀の跡だといわれています。けっこう距離があります。(外堀一周は約3km!)大名のうちまでやって来ました。向こうの方に徳川家康の屋敷がありました。そして伊達政宗のうちはここ、二条城のあたりでした──」

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2026年4月27日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(24)天下人

【アヴァン・タイトル】

温泉の街として有名な箱根。その歴史は古く、江戸時代から箱根七湯として湯治客でにぎわった。小田原へ参陣した政宗が、秀吉に蟄居を命ぜられた底倉はこの七湯の一つで、ここには秀吉が入った石(いわ)風呂が現在も残っているという。太閤の石風呂、そこへ至る道のりはとても険しい。なおも谷底へ下る。蛇骨川(じゃこつがわ)の向こうにそれはあった。当時のままに、今もささやかに湯をたたえていた。

打ち首覚悟でこの地に蟄居した政宗。彼は底倉の湯につかりながら、何を思い、何を考えたのだろうか。それも今となっては、この石風呂の湯のぬくもりしか知る者はいない──。

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2026年4月22日 (水)

プレイバック独眼竜政宗・(23)小田原へ

【アヴァン・タイトル】

天下統一の野望に燃える秀吉は、天正15(1587)年までに西国九州の平定を終え、関白として絶対の権力を持っていた。秀吉にとって残る最後の敵は、関東の北条氏と奥州の伊達氏であった。幾たびか上洛を促したが、北条氏はこれを拒否して動かず、秀吉は天正18(1590)年、22万の大軍をもって小田原を包囲した。北条氏は早雲以来96年にわたって強大な戦力を備え、居城である小田原城も改修を重ね、日本最大の平山城となっていた。

度重なる上杉謙信、武田信玄の攻撃を籠城戦で退けた自信と誇りが、秀吉何するものぞの気概となり、この対陣となった。秀吉は得意の持久戦の態勢を固め、小田原城を見下ろせる石垣山に一夜城を築いた。更に水軍までも動員して、蟻のはい出る隙もない包囲網を敷き、北条氏に降伏を迫った。秀吉の天下統一の夢は、目の前に近づいたのである──。

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2026年4月17日 (金)

プレイバック独眼竜政宗・(22)弟を斬る

【アヴァン・タイトル】

政宗の母・義姫は、永禄8(1565)年に最上家から輿入れし、伊達輝宗の妻となった。いわゆる政略結婚である。男勝りのお東の方にとって、幼年時代の煮え切らない嫡男政宗は心配の種であった。時には厳しいしつけをしたこともあったであろう。次男の小次郎が生まれ、お東の愛が主として弟に注がれるようになって、政宗の母を慕う気持ちはさらに強くなったと思われる。政宗の攻撃的性格は、この母への思いと母親譲りの気性の激しさに基づくのかもしれない。

小田原参陣を巡っての母と子の確執の陰には、このような少年時代からの思いが、ひそかに尾を引いていたのではないだろうか──。

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2026年4月13日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(21)修羅の母

【アヴァン・タイトル】

「(NHK仙台局・今井 久アナウンサー) 朝方まで降っていました雨も、すっかり上がりました仙台です。今日5月24日は仙台藩祖・伊達政宗公の命日にあたります。政宗公の遺骨が納められていますこの瑞鳳殿(ずいほうでん)で、間もなく352回目の法要が行われます。今日の法要には、ドラマで政宗公役を演じている渡辺 謙さん、そして愛姫役を演じている桜田淳子さんのお二人も参列しています。テレビをご覧になってていかがでございますか、ドラマ」

「(鬼庭左月の子孫・茂庭邦元さん) やはり先祖が出てきますとね、力が入りますね」「(白石宗実の子孫・白石宗靖さん) 子孫としまして先祖に恥ずかしくない行いをしたいと。いつも自分の行いについて厳しく律しています」「(小原縫殿助の子孫・小原長男さん) 縫殿助どのは真心の人間でしたので、警察官時代も真心とかまことというものを非常に大事にしてきました」「(摺上原で敗れた芦名氏の子孫・葦名盛親さん) あのようにして改まって、テレビを通じてあの当時のことをずっと放映されますとね、やはり複雑な気持ちです」

「(今井アナ) 泰宗さんにとって、政宗公ってのはどういう存在でしょうか」「(第18代当主・伊達泰宗さん) 400年経って今なお郷土の方々に愛され、また全国の方々からも注目を浴び、まさにスーパースターだと思います」「(今井アナ) 政宗公の法要の模様を、仙台からお伝えしました──」

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