もともとの山笠というのは、町ごとの飾り山の華美を競いながら練り歩いていたものだったそうです。
それが、江戸時代のことですが、土居流が東長寺で休憩中に、石堂流(現在の恵比須流)に追い越されてしまうという「珍事件」が。
このとき、二つの流が抜きつ抜かれつのマッチレースを繰り広げ、これが町人受けしたことから、「山を舁いて」駆け回り、スピードを競い合うという「追い山」になった、というふうに変わっていったようです。

つまり長慶寺とは、博多祇園山笠発祥の舞台です。