市の北になだらかに拡がる四王寺山頂にある。水城が造られた翌年665年に大宰府の北の守りとして、南の備え基肄山(きい)(基山)と共に築かれた山城である。
その形は約8kmにわたる土塁や石垣で山頂を囲み、その中に建物を建てた。現在もそれらの跡が残り、70棟分の礎石が点在している。大野城には後に四天王がまつられ、それが山の名として今に続いている。

<説明プレートより>