“都府楼跡(とふろうあと)”の名で親しまれている大宰府跡は九州全体を治める役所大宰府があった所。7世紀の後半から奈良・平安時代を通じて九州を治め、わが国の西の守りとして防衛を、また外国との交渉の窓口として重要な役割を果たしてきた。
現在もその大きさをしのばせる礎石(そせき)が残り、そこを中心に門や回廊(かいろう)、そして周辺の役所跡が復原(ふくげん)され公園となっている。

<説明プレートより>